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【音猫間借り暴動】 BLUE SUGAR SUPIRITS / 大輔 |
| 第13回 読んだり書いたり (2009.6.28) 気がつけば6月も終わり、1年の半分が過ぎてしまいましたね、 と紋切り型の出だしで始まりました音猫間借り暴動。 これを書いているのは6月25日の夕方なのですが、この文章が載る頃には 27日に行われたBLUE SUGAR SPIRITSのツーマンライブも大盛況のうちに終わっていることでしょう。 お越しいただいた皆さん、本当にありがとうございました。 さて、4月5月は映画や音楽のDVDをたくさん見て過ごしましたが、 今月は読書にどっぷりです。 新しく買った本もあれば、約10年ぶりに改めて読み返す小説もあり、活字にまみれてほくそ笑んでおります。 読書は好きなのですが、色んな作家の本を読み漁る、というよりは、 気に入った作家の作品を集めて読んでいく、という読書の仕方をしています。 中学高校の頃は赤川次郎ばかり読んでいました。 大学に入ると赤川作品はぱったり読まなくなり、村上春樹と花村萬月にのめり込むようになりました。 卒業後はそこに町田康が加わり、僕の中での御三家が出来上がったわけです。 最近は伊坂幸太郎も結構いい位置についています。 好きなミュージシャン関連の本もよく読みます。 漫画は割と広く浅く、です。 文章を読むのも好きですが、書くのも好きです。 日記は大学に入ってから今日まで、ルーズリーフのノートに手書きでずっと続けています。 4年くらい前からブログも始め(真夜中暴動:http://yaplog.jp/mayonakabodo/)、 gisinankiヨコオさんから声をかけて頂いてこのコラムも始めました。 バンドで作詞もしています。 作詞作曲に関しては、自分が影響を受けてきたミュージシャンは自覚していますし、 ギタープレイも、ライブを観てくれた方から 「アベフトシ好きなんでしょ」 「ベンジーっぽいですよね」 と言われますし、彼らからの影響は自覚もしています (もちろん自分なりに消化しているつもりではありますが) ただし「文章を書く」ということに対しては、 誰か特定の作家に影響を受けた覚えは、少なくとも僕にはありません。 もちろん知らず知らずのうちに影響を受けているのかもしれませんが、 音楽に関しての自覚ほどはっきりした意識がないのです。 それが良いことなのか悪いことなのかはよく分かりませんが、 今月は雨の音を聞きながら活字と戯れて、漠然とそんなことを考えたわけです。 まあ文章と言っても日記やブログ、コラムです。 長編小説を発表しているわけでもないので、 誰それの影響が、とかいうレベル以前の問題なのかもしれませんね。 ただ唯一思い当たるのが、母の文章です。 実家からの宅配便に母からの短い手紙が入っているのですが、その文章が僕の書くものとよく似た雰囲気です。 母も学生の頃は文学少女として鳴らしたらしいです。 でもこれは影響とはちょっと違うんですかね。 |
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| 第12回 昔のデモを聴き返す (2009.5.22) 先月・今月は、割と家にいる時間が多かったので、曲作り・デモ作りをいつもより多くしていた気がします。 バンドによって曲作りの仕方は違うと思いますが、 BLUE SUGAR SPIRITSの場合は、多くは僕やVo.かぁこが簡単なデモを作り、 それを基にメンバー全員でああでもないこうでもない、とアレンジを詰めていきます。 かぁこのデモは歌とギターのみのシンプルなものがほとんどですが、 僕は脳内のニュアンスをできるだけ最初のデモで伝え?たいので、ドラムを打ち込んで、 ベースも自分で弾いて、 一応バンドの音が揃った状態のデモを作ることがほとんどです。 とはいえドラムのことはよく分からないし、ベースも簡単なことしか弾けないし、 何より各パートの細かいことはメンバーに任せた方がよりよい曲になるだろう、 ということで、 申し訳程度のフレーズを繰り返すだけなのですが。 そんな感じの、あまり根を詰めないゆるい宅録が、僕の性分にも合っているようです。 今でこそデジタル使用の録音機材を使ってはいますが、 僕が初めて買ったMTR(多重録音できる機材)は、 カセットテープに録音するアナログなものでした。 まあほとんどのバンドマンがここから出発すると思います。 大学2年の時に買ったそれは、4トラックしか録音できないMTRだったので、ドラムの打ち込みをダビングして、 ベースを録音して、さらにギターを録音して、ボーカルを入れればそれで終了。 ギターを2本重ねたり、ボーカルにコーラスをつけたり、ということもできません。 実は2つのトラックを1つのトラックにまとめるテクニックもあったりはするのですが、 そういう小難しいことはさっぱりの僕ですから、 とりあえずその4トラックを埋めたものを、 バンドのメンバーに聴いてもらっていました。 で、今回このコラムを書くにあたって、久しぶりに大学当時のデモテープ(をMDに落としたもの)を引っ張り出して聴いてみたのですが、なんとまあ… 当時僕はスリーピースのバンドでVo&Gtをやっていて、曲はすべて僕が作っていました。 ミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティーにどっぷりかぶれていたその頃の僕(今でもあまり変わりませんが…)が作った曲の数々が詰まったMD。 聴き返してみると、記憶していた以上にひどいデモで、聴きながら変な汗をかいてしまいました。 記録とは正直で残酷なものですね。 ほとんどミッシェルのパクリ。思わず苦笑いです。 まあ最終的なアレンジは他のメンバーも交えてやっていたので、人前での演奏は幾分マシになっているとは思いますが、このデモはちょっと… ドラムは正確な打ち込みのドラムなのに、その上に乗っかった演奏がばらばらだし(笑)。 歌には特に自信がなかったのでしょう、ボーカルの音量レベルが極端に小さい(笑)。 でも僕が当時全力を注いでいた音楽・バンドであることには間違いないし、 ある意味現在の僕には無い何かを宿したバンドだったと思います。 僕の年表の中で、特別太い文字で書かれるような、かけがえのないバンドです。 あれから大学を卒業し、住まいを横浜に移してバンド活動を続けています。 この数年間で演奏のレベルは上がったし、より多くの音楽を聴くようになりました。 でも昔のデモと今現在のデモを聴き比べてみると、僕がバンドでやりたいこと自体はそんなに変化していないのかな、とも思うのです。 その変化のなさを、良い・悪いの一言で片づけることは難しいですが、 「人間そうそう変わるものでもないんだなあ」と実感したのでありました。 |
| 第11回 春の決意 (2009.4.28) この間新年を迎えた、と思っていたらもう4月、新年度が始まり、桜が咲いて散っていきました。 学生の頃は新年度というものを意識しやすかったのですが、 バンドマンというヤクザな生活をしていると、4月から始まる新年度はなかなか見逃しがちなものです。 春に限らず、僕らや僕らを取り巻く環境というものは常に変化していくものですが、 その変化を実感しやすいのが確かに春という季節です。 友人の仕事や住む場所が変わったり、 結婚の知らせを聞いたり、 交流のあったバンドが解散したり… でもそのどれもが、次へのステップなのですから、僕なりの真摯さで受け止められたら、と思います。 先日珍しく、区役所と警察署に行ってきました。 新年度ならでは、というわけでもないのですが、やらなければいけない手続きができたので行ってきました。 滅多に行かない場所に一人で行くと、 「あれ、僕って結構大人?」と思ったりするのですが、 実際はかなりビクビクしながら窓口に向かい、簡単な手続きでさえおっかなびっくりの28歳。 もっとスマートな大人の男になりたい、と切に思います。 手に汗握る手続きを終えて外に出ると、 区役所の入り口には小さな子供を抱えたお母さんたちによる長蛇の列。 どうやら何かの予防接種らしかったのですが、 外の新緑と相まって、 なかなか春らしいほのぼのとした光景でした。 子供たちにとってはほのぼのでも何でもなかったでしょうけど。 新入生・新社会人の皆さんは、新たな環境でそれぞれの奮闘が始まる季節。 僕も気持ちを新たに、生きるということを頑張りたいと思います。 新年でも新年度でも、決意するきっかけとなる節目というものは大事にしていきたいですね。 |
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| 第10回 初めて買ったCDたち
(2009.3.27) 気がつけば第10回を迎えました音猫間借り暴動でございます。 各地では桜が咲き始め、2008年度が終わりを告げようとしています。 3月は僕の好きなミュージシャンによるCD・DVDのリリースが相次ぎ、嬉しい悲鳴を上げておりました。 音楽ソフトは僕にとって決して安い買い物ではありませんが、 購入した新譜をプレーヤーにセットするときのドキドキや、 そこから聴こえてくる新しい世界の魅力は、何にも代え難いものです。 そんなこんなでそれなりの数の音楽に触れてきたわけですが、 今回は初めて買ったCDたちについて書こうと思います。 まずは初めて買ったシングルCDについて。 確か小学校5年生の頃だったと思いますが、我が家の車を買い替えることになり、 新しい車にはCDプレーヤーが搭載されていました。 しかし家にCDラジカセなどの機械はなく、つまり車の中でのみCDを聴ける状況だったのですが、 それでも西村少年はCDが欲しいと思い、その頃は月の小遣いが500円とか1000円とかそのくらいでしょうか、 なけなしの小遣いを握りしめてCDショップに走ったわけです。 そして初めて買ったシングルCDは、槇原敬之の『どんなときも。』と、 大事MANブラザーズバンドの『それが大事』の2枚でした。 当時大ヒットしていた2枚です。 縦長ジャケットの8cmCD、懐かしいですね。 車で出かけることがあれば、父のセレクトする演歌や歌謡曲の間にこの2枚をねじ込んで聴いていました。 次に初めて買った邦楽アルバム。 中学生ともなれば家にもCDラジカセが登場し、レンタルしたシングルCDをカセットテープで編集して聴いていましたが、まだアルバム一枚を通して聴くという概念が僕にはありませんでした。 その頃好きだったのが米米CLUBです。 僕の周りで米米を好きだった人はいなかったと記憶しています。 みんなミスチルやらB’zやらエイベックス系アーティストを好んで聴き、 米米なんて完全に「イロモノ」だったわけです。 でも僕は米米の、ちょっとひねくれたところに惹かれたんだと思います。 そんなわけで、僕が初めて買った邦楽アルバムは、米米CLUBのベスト盤『DECADE』。 久々に聴いてみたら、まあ懐かしいったら。 ちなみに米米CLUBはそれから約2年後に解散を発表、東京ドームでラストライブを行います。 その解散ライブを収録したビデオが、僕が人生で初めて買ったミュージックビデオになるわけです。 音楽的に影響を受けたかどうかは自分ではよくわかりませんが、米米CLUBは僕にとって、 初めて心底好きになったバンドで、初めてアルバムやビデオを買ったバンドで、 好きなバンドが解散を発表して血の気が引いていく思いをしたのも米米が初めてだったし、 好きなバンドが再結成してすごく嬉しい気持ちになったのも彼らが初めてでした。 初めてづくしの、僕にとって本当に大事なバンドです。 そして最後に、初めて買った洋楽アルバムについて。 ビートルズくらいは中学の頃からレンタルして聴いていましたが、 高校生になって、そろそろ洋楽のCDを自分で買ってみたいな、と漠然と思い始めました。 しかし当時僕の周りにはそこまで熱心な洋楽リスナーはいなかったので、 洋楽と一口に言ってもどこから手をつけていけばよいのか分からず、 とりあえずは深夜の音楽番組やラジオをチェックすることから始めました。 そしてある日、確かあれは『ぱじゃま倶楽部』という鹿児島ローカルの深夜番組だったと思うのですが、 その番組で特集されていたMR.BIGと出会ってしまうわけです。 ちょうどベスト盤がリリースされるタイミングでの特集で、 一番印象に残ったのは『Stay Together』という曲でした。 つまり、MR.BIGのパブリックイメージであるGt.ポール・ギルバートとBa.ビリー・シーンによる超高速プレイが披露されないこの曲の、メロディのポップさ、キャッチーさに惹かれたわけです。 これがきっかけで、僕が初めて買った洋楽のアルバムは、 MR.BIGのベスト盤『BIG,BIGGER,BIGGEST!』になりました。 全17曲、前述の曲や有名な『To Be With You』など、普通に良い曲も入っているのですが、 ポールとビリーによる超絶テクニカルプレイがふんだんに盛り込まれた曲ももちろん収録されています。 しかし当時の僕はまだギターを弾き始める前なので、このプレイがどれだけすごいことなのか理解せず、 むしろバンドマンはこれくらい普通に弾けるんだと思いながら聴いていました。 そんな僕もやがてギターを弾くようになるわけですが、 同時にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYなどの、 よりプリミティブなロックに心酔していったので、 テクニカルなプレイに興味を持つこともなく、このCDは自然と長く封印されることとなりました。 なのでMR.BIGに対しては、先に述べた米米に対する思い入れのようなものは皆無です。 ギタリストとしての影響も全く受けていません。 それでも今回このコラムを書くにあたり、久々に聴いてみたのですが、いやあ懐かしい。 そして速い。今ならこのプレイの凄さが分かります。 音楽の聴き方が多様化した21世紀ですが、それでもCDのように、手に触れられる形で好きな音楽を自分の手元に置いておきたい、素敵な音楽に出会えた時の興奮をもっと味わいたい、 そう思い続けている限り、我が家の音楽ソフトは増え続けていくことでしょう。 |
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| 第9回 つながっていたいと思える家族
(2009.2.26) 春一番が吹き荒れたと思ったら、また寒さの厳しい日が続くようになりました。 みなさんいかがお過ごしでしょうか。 僕は暑い夏より寒い冬のほうが好きなので、 残りわずかとなりつつある冬をかみしめようと思っています。 僕の両親は、今から30年前の2月に結婚しました。 それから約2年後の12月に僕が生まれたわけで、僕が冬好きなのも道理かもしれませんね。 両親の結婚記念日、毎年何か贈ったりしているわけではありませんが、 今回は30周年、さすがに何かしてあげたいな、と思い、 絵本仕様のメッセージカードと、ちょっとしたプレゼントを郵送しました。 喜んでくれたようで、良かったです。 一口に30年と言ってしまいますが、それはそれは長い年月です。 何と言っても僕や弟が生まれる前から二人でずっと一緒にいるわけですから。 良いことも悪いこともあったでしょう。 両親から弱音を聞いたことはありませんが、子供には言えないような大変なことだってあったんだと思います。 それでも親として、僕と弟を育ててくれ、今現在も見守ってくれています。 これからも仲良くいてほしいです。 さて、僕の弟は現在都内に住み、役者や声優に関する勉強をしています。 その弟に招かれて、先日彼の部屋で鍋をしました。 4歳離れた弟とは、今でこそ割と仲良くやっていますが、 実家にいたころはそんな感じではありませんでした。 言ってしまえば、弟が疎ましかったんだと思います。 僕の機嫌一つで、弟を小突いたり、意地悪く当たったりして、何度も泣かしてきました。 両親に言わせると、僕には反抗期らしい反抗期はなかったそうですが、そういった思春期のストレスを、 当時厳しくて怖かった両親ではなく、弱い弟に全部ぶちまけていたのかもしれません。 最低の兄です。 そんな兄に対して、弟が歯向かうことはほとんどありませんでした。 僕なんかよりずっと大人だったんだと思います。 僕が大学に進み、実家を出てからは、毎日顔を突き合わせることもなく、 僕自身心に余裕ができたのか、弟に対して理不尽な行いをすることはなくなった、と自分では思っています。 最近では、彼の出演した舞台を観に行ったり、逆に僕のライブに来てもらったり、 たまに会ってご飯を食べたり、ごく普通の兄弟のような、良い関係になったと思います。 でも先日の鍋の席で、 「兄貴は親が怖かったって言うけど、オレは兄貴のほうがよほど怖かった」と言われました。 そんなトラウマじみた感情を持ちながらも、僕とこうして接点を持ち続けてくれる弟は、 とてもいい奴だと思います。 家族とは不思議なものです。 趣味嗜好が違ったり、ソリが合わなかったりしても、血のつながりは否定できません。 いろんな人からいろんな形の家族の話を聞きますが、 僕自身は、つながっていたい、と思える父と母と弟が家族で、幸せだな人間だなあと思います。 そんなことをしみじみ思った、2009年の2月でした。
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| 第8回 帰る場所、戦う場所
(2009.1.25) 少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。 2009年最初の音猫間借り暴動です。 さて、新年のご挨拶がなぜ今日まで遅れたのかと申しますと、実家の宮崎と、 大学時代を過ごした鹿児島へ、6日間ほど帰っていたのです。前回の帰省は約2年前、友人の結婚式でした。 何か用事がないとそう簡単には帰れない距離ですが、2年間九州の土を踏まずにいると、 心と体のあちらこちらが軋むような感じがして、これは一度オーバーホールをしなければ、 と帰省してきたのです。 僕の地元は宮崎県の都城市というところです。 食べ物はおいしいし、空気も水もきれいで、夜の星も美しい、静かで住みよい街です。 でもそういう良いところは一度離れてみないとなかなか気づけないものですね。 まあ若い人にとっては刺激が足りなくて退屈な町でもあるのかもしれませんが 、 僕はここで生まれ育ってよかったなあと思っています。 一方大学時代を過ごした鹿児島県鹿児島市は、田舎育ちの僕にとっては十分に都会でした。 鹿児島大学はとても広くて、街を見下ろす桜島はとても大きくて、騎射場などの飲み屋街は活気にあふれ、 様々な店が立ち並ぶ繁華街の天文館は歩いているだけで体温があがるような、楽しい街でした。 現在の僕は横浜に約6年住み、たくさんの人でごった返す都内にもよく行くので、 さすがに大学生当時の感覚は遠いものになってしまいましたが、 今回久々に訪れた鹿児島には、やはり胸が躍りました。 地元都城や第二の故郷鹿児島で、たくさんの人と再会しました。 家族、親戚、友人、お世話になった先輩方… 帰省する度に会える人たちもいれば、しばらくぶりに会えた人たちもいます。 みんな、「帰ってくる度に会いに来てくれて嬉しい」と言ってくれます。 こちらのセリフです。 そして、「ブログ(真夜中暴動:http://yaplog.jp/mayonakabodo/)を見てるけど、 向こう(関東)でもキミの周りはみんないい人ばっかりだねえ」と言ってくれる人もいました。 本当にそうだと思います。 僕は僕自身について自慢できることは少ないけれど、 僕の周りにいる友人や先輩・後輩、そして家族については胸を張って自慢できます。 とはいえ、ギターを持った自分の力を試したい、と僕が選んだ場所は、 居心地の良い宮崎や鹿児島ではなく、遠く離れた横浜や東京などの都会でした。 早く成果をあげて、みんなに良い報告をしなくては、と思います。 さて、今回の旅でどうやら喉をやられてしまったようです。 恐らく鹿児島で泊まったホテルの空調が原因でしょう。 でもこの喉の痛みも苦笑いで済ませられるような、 そして体の細胞が全て新しいものに生まれ変わったような、そんな素敵な数日間でした。 おかげで、また頑張れそうです。
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| 第7回 この地上では成すべきことがとても多い…急げ!
(2008.12.19) 早いもので、2008年も残りわずかとなりました。
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| 第6回 ものは言いよう (2008.11.21) 朝晩はめっきり寒くなってきたので、部屋着としてグレーのフリースを着ています。 先日その部屋着で知人と会ったら、「ずいぶん年季の入ったフリースだね」と言われました。 言われて気付いたのですが、そのフリースは実家にいる頃から着ているので、 10年近く着続けていることになります。 そして改めて見てみると、度重なる洗濯で生地は痩せ、もはやフリース生地とは言えないほどの薄さ。 秋冬になると特に何も考えず、決まってこのフリースを着ていましたが、 これってもう衣服として暖かくないのでは。 そんなことをぐるぐる考えている僕に、「物持ち良いんだね」と知人は言ってくれました。 確かに物持ちは良い方みたいです。 先ほどのフリースのように、傷んで人前では着られなくなった服 (とは言えそのフリースで知人と会っているわけですが…) は部屋着にランクを下げて着続けるので、何だかんだと長く使います。 わざわざ実家から持ち出してきたお気に入りのマグカップは、割ることもなく10年くらい愛用しています。 携帯電話は何度か機種変更してきましたが、それぞれ3年くらいは使い続けていました。 先代の携帯は目覚ましとして今も使っています。 メガネは8年以上使い続けてきた(医学上問題有り)ものから、今年ようやく新しいメガネに代えました。 5年以上使っていたミニコンポは、故障してCDが本体に入らないものだから、 最後の方はわざわざCDウォークマンを接続して無理やり使っていました。 現在部屋にあるテレビはもうすぐ10年選手で、画面が青みがかってしまうことがありますが、 後頭部辺りを叩いてやると直ることもあるので、まだしばらく使えそうです。 この原稿を書いているノートパソコンは大学の卒論を書くために購入したので、もうすぐ6年くらい。 最近調子が悪く、頻繁にフリーズするので、びくびくしながら書いています。 音楽CDやVHS、DVDなどは、中古ショップでお金に換えたことは全くありません。これはちょっと違うか。 こうやって書いていくと、物持ちが良い、というよりは、 買い換えるお金がもったいない、つまりケチなのではないか、 または買い換えるのが億劫、つまり面倒くさがりなのではないか、と自分で疑問に思えてきました。 ただし「捨てられない男」ではありませんよ。 部屋の掃除などで、要らない物が出てきたら思い切りよく捨ててしまえる男です。 そこだけは言っておきます。 そんな僕が一つだけ、これだけは人に何と言われようと使い捨てたいものがあります。 それは「便座カバー」です。 あれを洗っては使い、使っては洗い、繰り返し使うという人もいるようですが、 僕はあれだけは、汚くなったら捨ててしまってそれっきり、新しいものをセットしたいのです。 100円ショップで売っているような安いやつで構いません、それを使い捨て式に交換したいのです。 僕はこのことについて、「洗って使う派」の人と大ゲンカになったことがあります。 自他共に認める、ここ数年で一番くだらないケンカです。 果たして僕は物持ちが良いのか、ケチなのか、面倒くさがりなのか。 何にせよ、こういう男は浮気しませんよ。関係ないか。 結局「ものは言いよう」なのかもしれませんね。 もしあなたの身近にケチな人や面倒くさがりがいたら、「物持ち良いね」と言ってあげると、多分喜びます。
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| 第5回 数年ぶりのコピーバンド(2008.10.14) 10月3日、下北沢シェルターにて行われた
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| 第4回 しつけてくれてありがとう(2008.9.15) 9月に入り、少しは涼しくなってきた気がします。暑さに弱い僕としてはありがたいことです。 BLUE SUGAR SPIRITSのツアーも佳境を迎え、今月は大阪、神戸、愛媛などを演奏旅行していきます。 そして10月3日には下北沢シェルターにてツアーファイナルのイベントを行います。 なかなか忙しい日々です。 忙しくなると、電車での移動時間も貴重な睡眠時間に変わります。 少しでもウトウトできれば、と座席に腰を下ろすのですが、先日隣の席に居合わせた親子には参りました。 見た目30代くらいのお母さんと、小学校低学年と思しきお姉さん、弟の計3人。 僕が少しでも眠りたいと思っている隣で、弟君は座席に飛び乗ったり降りたりを繰り返し、 お姉さんは車両を駆け回っています。お母さんは多少の注意くらいはしていましたが、本気で叱る気はなさそうです。 1時間ほどその電車に乗っていたのですが、その親子もずっと乗りっぱなし。 結局目的地に着くまで一睡もできませんでした。 お姉さんも弟君も、割と整った顔立ちをしていたので、かわいい子供を叱りつけるのは心が痛むのかもしれませんが、 それにしたって最低限のしつけはして欲しいと思います。 我が子をかわいいと思えばこそのしつけ、それができなければ、 結果的に恥ずかしい思いをするのは親御さんではなく、成長した子供たち自身なのですから。 さて、『人の振り見て我が振り直せ』と申します。 僕に子供はいませんが、シャロンという愛猫がおります。 生後どれくらいから飼い始めたのか正確なところはわかりませんが、 かなり小さな状態から飼い始めたので、まあ一から育てたと言ってもいいでしょう。 では僕のシャロンに対するしつけはしっかりしていたのか、と省みると、そうでもありません。 腹が立てば僕に向かって噛み付いてくるし、食卓にも平気で上ります。爪もそこらじゅうで研ぎます。 飲み水はちゃんと器に入れて用意しているのに、わざわざ洗面台に行って「新鮮な水を手ですくって飲ませろ」という横暴さです。 一日中家にいて、シャロンに付きっきりならばちゃんとしたしつけもできますが、 バンドマンというのは不規則な生活をする生き物です。 家を空けることも多く、エサを決まった時間にやることもままなりません。 そして何より、かわいいのです。 あの愛くるしい目で見上げられたら、しつけのためとはいえ、叱りつけるのは心が痛みます。 そんなだらしない僕ですから、将来子供ができたとしても、一人前のしつけができるかどうか、甚だ疑問です。 猫と人間の子供を一緒にするなよ、と言われそうですが、 血のつながっていない猫があれだけかわいく思えるのですから、 自分の子供ともなればどれだけかわいがってしまうのか、ちょっと想像がつきません。 冒頭のお母さんが、子供に甘くなってしまうのも少しは分かる気がします。 それらを踏まえたうえで自分の両親について考えてみると、立派な父と母だなあと思わずにはいられません。 僕と弟、さぞかしかわいい子供だったでしょう(見た目がどうこう、ではなくて)。 そのとてもかわいい我が子をただ甘やかすのではなく、しっかりと叱りつけ、時には手を上げもしてまで、 ちゃんとしたしつけをしてくれた両親には、ただ感謝するばかりです。 両親のしつけがあればこそ、僕はこうして人の道を踏み外すことなく生きているわけですから。 自分のため、そして大事な人のための「厳しさ」。 そう簡単に持てるものではありませんが、肝に銘じておきたいものです。
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| 第3回 ソーダ水の粒のように(2008.8.9) 暑い日が続いております、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 気が付けば8月、とうとう北京オリンピックまで始まってしまいました。 夏が苦手な僕としては、この調子であっという間に秋・冬が来て欲しいです。 苦手な夏ではありますが、唯一良いところといえば、「ビールがうまい」でしょうか。 そんなわけで夏の晩酌はビールや発泡酒で始めます。 クーラーのおかげで(極力使わないようにはしていますが…)涼しくなった居間から、さて2杯目のお酒を取りにと台所へ立ち入った瞬間、温度差のせいで余計に暑く感じられる台所の空気がむわっと僕を取り囲みます。 その瞬間、思い出すのは鹿児島に住んでいた頃のこと。 大学の4年間を、僕は鹿児島で過ごしました。 大学から自転車で10分ほどのアパートで、僕の部屋は3階。 アパートの前はちょうど国道と産業道路がぶつかるところで、かなりの交通量。 朝から晩まで車やバイクの騒音がひどい場所でした。 その騒音対策として、ベランダに面した窓は二重になっていました。 その二重窓が珍しかったのと、僕も部屋でギター弾くし、それなら外もうるさいほうが都合がよろしかろう、 と思ったのとで、入居を決めました。 鹿児島の夏は暑く、そして何より長いものでした。 毎年4月から10月までのおよそ半年は半袖で過ごせるくらいの暑さです。 実家の宮崎県都城市も暑かったですが、当時自分の部屋にクーラーはなかったし、 それでも扇風機でしのげるくらいの暑さでした。 しかし鹿児島の夏は厳しく、不本意ながらクーラーの力を借りながら、日々を過ごしました。 そして大学に入れば酒を覚え、徐々に晩酌めいたこともするようになります。 一人暮らし、クーラーのある自分の部屋でお気に入りのライブビデオなどを観ながら覚えたての酒を飲む、何とも言えない情緒です。そして台所に向かえば襲ってくる温度差。 この温度差が、僕の鹿児島時代を象徴する要素の一つとして、僕の中に強く残っているのです。 思い出しついでに書いておくと、僕はもともと熊本大学を第一志望として受験していたのですが、 二次試験前期で失敗してしまい不合格、後期で鹿児島大学に受かり、大学生になったのです。 熊大に落ちた、と知らされた時には「浪人しようかな」とも考えたのですが、 周りの勧めもあって、とりあえず鹿大を受けました。 そしてめでたく合格、「早く一人暮らししたいし、鹿大でもいいか」という、 まあある意味色んな方面に失礼な動機で、僕は大学生になったのです。 あの時もっとしっかり勉強して、熊本大学に受かっていたら僕の人生はどうなっていただろうか。 そう考えることも無くはありませんが、結果的に鹿児島で過ごした4年間はかけがえの無いものになりました。 大学、特に軽音サークルを通じて本当にいろんな人と出会えたし、 何より彼女とシャロンに出会えたことは本当に大きいです。 大学を卒業して横浜に移り住み、もう5年以上経ちます。 『いつか今のことが懐かしく感じるのかもしれないね』 ベンジーの歌詞ではないけれど、ここ横浜での出来事を、鹿児島時代のように懐かしく思い出す日が来るのかもしれませんね。 そんなことを考えた夏の昼下がりでした。 |
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| 第2回 旅先で育つ音楽 (2008.7.9) さあさ、”音猫間借り暴動”第2回でございます。 気がつけば前回からまるまる一ヶ月空いてしまいました。 その間何をしていたのかといえば、BLUE SUGAR SPIRITSのツアーです。 セカンドマキシシングル”モノクロ”リリースに先駆けてのツアーで、4月から色んなところへお邪魔しております。 特に先日24日から27日はライブ4連戦という、バンドにとっても僕個人にとっても初の試みでした。 4日連続ライブ、体力的に持つのだろうか、という不安はもちろん、超のつくインドア派の僕が、 バンドでの旅を楽しめるのか、という点も結構不安だったのですが、終わってみたら凄く楽しかったです。 まあ僕らより全然ハードなスケジュールで全国を回るバンドもたくさんいるし、 今回の4日間で一番遠い会場といっても群馬県の高崎市ですから、 「そんなのツアーのうちに入らんわい」とおっしゃる方々もいらっしゃるかもしれません。 でもひとまずは僕らにとっての未体験ゾーンに足を踏み入れてみて、僕らなりに楽しめた、ということで。 4日間全ての会場が初めて訪れるライブハウスで、BLUE SUGAR SPIRITSというバンドが全く認知されていない状況でのライブ。 都内では味わえない、貴重な経験が積めたと思います。 バンドにとっても個人的にも、新たな課題を見つけることができました。 有意義な4日間だったと思います。 メンバーとあれだけ長い時間を共有できたことも大きいです。 みんなそれぞれ、僕が思っているよりずっとたくさんのことを深く考えて、 音楽と向き合って呼吸をしているんだな、と改めて感じました。 加えて、こんなに楽しい、面白い人たちだったんだな、とも思いました。 たくさん笑わせてもらった気がします。 でも旅先で、ふとした拍子に思い出す愛猫シャロンのことだけは、どうしようもありませんでした。 弟に留守は任せてきたとは言え、寂しがってはいまいか、ご飯はちゃんと食べているか、 むしろ僕のことなんて忘れてしまってはいまいか、と。 家に帰ってシャロンと再会したときの、何とも言えず胸が満たされる感じ。 今回のツアーの裏ハイライトでした。 リリース先行ツアーはまだ続きます。 7月9日には”モノクロ”リリース、そして27日の自主企画”Greatest Riot col.4”を経て、 今度はリリースツアーと銘打って再び各地を回ります。 成長したBLUE SUGAR SPIRITSの姿を、ぜひ皆さんに観て欲しいです。 ご期待下さい。 |
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| 第1回 間借り開始 (2008.5.31) はじめまして、この度ここgisinankiにてコラムを書かせていただくことになりました、大輔と申します。 BLUE SUGAR SPIRITSというバンドで活動している、ケチなギター弾きでございます。 音楽と愛猫シャロン、どちらも僕の意思では如何ともし難い、かつ魅惑的な要素が生活の中心である僕が、 gisinankiの隅っこを間借りして、色々綴っていこうと思ってます。 なお、“真夜中暴動”(http://yaplog.jp/mayonakabodo/)というブログを書いていますが、 そちらと内容やテイストがかぶらないよう、うまく書いていけたらいいな、と思います。 さて、BLUE SUGAR SPIRITSは先日行われた gisinanki presents”WONDERFUL WORLD ̄今夜あなたと踊りたい ̄”に出演させていただきました。 もう疑心暗鬼ヨコオさん(って書くと結構な字面だな…)とは4年くらいの付き合いになるのかな。 その間色々なイベントに誘っていただきましたが、 今回もまたヨコオさんのサブカルチャーに対する愛情に溢れた一夜となりました。 軽くはないけれど、すごく居心地のいい空間。最高でした。 今年いっぱい、毎月最終日曜日に代々木にて開催される”WONDERFUL WORLD”、みなさん観に行ったらいいと思います。 で、この前これまでに溜まった写真の整理をざっとやったんですが、 まあ長い付き合いのヨコオさんですから、当然彼の写真もあるわけですよ。 何と言うか…見た目全然変わってないですね。 あんまり人のことは言えませんが(それこそ先日のイベントで4年ぶりくらいに会った大学の後輩から 「変わってないですね〜」って言われたし)、それにしても変わってない。 ここ3年くらいの、色んな季節のヨコオさんがうちのアルバムには載っているのですが、 それぞれシャッフルしても変わらない気がします。 というか一緒に写っていたりするBLUE SUGAR SPIRITSのベーシスト・堀川康宏が 年々ビジュアル変わり過ぎだから余計そう思うのかな。 画像をここで紹介してもいいのですが、許可を取るのが面倒なのでまた別の機会に。 ではこんな感じで始まりました”音猫間借り暴動”、どうぞよしなに。 |
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